フェミニズムの矛盾ー母性を否定しながら父性を求めるー宇野常寛の母性のディストピアのインタビューを読んで。

宇野常寛氏の母性のディストピアのインタビューを読んでフェミニズムの矛盾を感じた
 
 

宇野 この本を読んでね、フェミニズム関連の研究者あたりにここで書かれている母性は男性から見たものであり、母性に対する内在的な批判ではない、という批判はあるんじゃないかと思う。的外れな批判ではあると思うけど、たしかに僕は今回は意識的に日本の近代の「男性的な」自意識の問題として母性というものを描いているからね。

男性が父になれない、家長になれない崩れの男性の精神的な依存先としての母性であって、究極的に言うと江藤淳村上春樹にとっての母性。男の妄想的産物の母性だという批判は当然来るだろうけど、僕は今回に限って言えばそれ以外は最初から扱う気はかったんだよ。母性そのものの内在的な批評というものと、戦後日本の「母性のディストピア」的な閉鎖性を組み合わせて論じるにはあと二冊ぐらいいると思うんだよ。それはちょっとこれも宿題にさせてほしい。さすがに40万字書いたんだから、「○○が入っていない」みたいな批判は勘弁して欲しいだよね(笑)。それに関しては他の機会に譲らせてほしい。

 

 
この文章の矛盾は「男性は父性的で家長にならなければいけない」としながら女性の立場ではフェミニストを代弁して「母性を求めるなんてマザコンでそもそも母性そのものが男の作り出した幻想に過ぎない」と言っている様に思える点。(母性についてのフェミニストの批判をかわすにはそうなるしかないはず)
 
 
そもそも「家長になれない男性」という批判は家父長制を批判してきたフェミニズムからは矛盾する
 
 
もしかするとフェミニズムは女性の立場のみで性規範を否定し女性が男性にジェンダー主義的に依存される事ー女らしくあるべき、母性的であれ、家事育児は女の役割、家長は夫に譲れ(この場合は義務としての家長ではなく権利としての家長)ーのみを批判しているのではないだろうか、男が男らしくなかったり社会の期待する男の役割を果たそうとしないことが気に入らないのであればそれは男性への性規範意識でありフェミニズムがそれを主張するのは二重基準ダブルスタンダード)になる
 
 
昨今、男女平等が進み男性も男の役割から僅かにせよ解放されつつあるのが気に入らないという空気を感じることがある、この本を絶賛していた宮台真司にせよ男が軟弱化し女を口説いたり男らしさそのものが時代遅れになり男が男の役割を全部担わずに女性と分担するようになったことを嘆いて男性にだけ「性規範的であれ」といった主張を展開するがこの手の主張は最近目立ってきた、
 
 
今までは女性に対する性規範意識を「時代遅れ、女性蔑視」と批判しそれが解消されて行く様を心地よく眺め、その急進さに戸惑い懐古主義になるジェンダー主義者達を「時代遅れ」と嘲笑していた人達が今度は自分達が男性性の解放(男性も性役割の分担を求めるようになった)に戸惑い「現代は駄目だ、昔は良かった(マシだった)」と自己矛盾や懐古主義(時代についていけない古い価値観にしがみつく人)になっているのは滑稽だ
 
フェミニストで男性には性規範的で依存心を持った人というのは実は普通にいると思うが男の女への依存心がマザコンなら女の男への依存心はファザコンになる(私はジェンダー主義者なので双方の依存心を認める立場だが)
 
宮台氏は若者の恋愛離れを嘆いているが社会の「女に依存するな、男女平等」と言いながら「男は男らしくあれ、女を依存させろ」という男性にだけ性規範的であれとする規範意識が恋愛への興味を無くさせているのではないか?女性の恋愛離れは相手がいないだけだが男性は恋愛自体に興味を持たずに都合のいい二次元の恋愛に走る。
 
恋愛はジェンダー主義だから面白みがあると思うが女性は男らしさに依存してもいいが男性はそれをすると女性蔑視やマザコンと言われる、こうした社会の一方的な規範に嫌気が差して批判されながらも男らしさや男の役割を放棄しだしたことに自身のダブスタを省みずに嘆き批判するのは身勝手ではないだろうか
 
私はジェンダーを双方の立場で認めるので男女がお互いに依存しあうのも、はたまた男女逆転のカップルも面白くて有りだと思うが女性への性規範を断罪するフェミニズムの立場を取る者が男性にだけ規範的なのはまさに差別的といえる
 
 
追伸
 
あるフェミニストの女性でツイッターで女への性規範を愚痴ってばかりの人がいたが彼氏にはジェンダー依存心丸出しでデートでは奢ってもらいレディファーストといった立場を得ていたが自分が性役割を期待されたくなくて平等に付き合いたいなら女性である
あなたも男性ジェンダーへの依存心を棄て自立してほしいと思う
 

男子への加点は駄目で女子への加点はOKという矛盾(東京医科大の件)

 東京医科大が受験の際に男子に加点して社会から大バッシングを受けているが2016年に大阪電気通信大学が「全学部において女子に加点します」と公言した際には社会はそれを受け入れた
アファーマティブアクションという男女のバランスを取るという社会正義(その方が社会の益になるという生産性)が前提になれば不公平は許されるという判断なのだろうが
それなら今回の件も「女性医師は結婚して離職する傾向が高く女子学生の割合が増えれば医師不足になる」という社会正義が理由としてあった訳だがなぜこれほど叩かれるのだろう?
 
アファーマティブアクションは差別の是正であり男子はデフォルトで加点されている様なものなのだから女子が加点されても問題ない」というのは詭弁男女差から差別があると漠然と決め付けるのではなく本当にあることを証明してピンポイントでそこにある差別を是正する方法でなければいけない
何となく「人口比は半々なのに男女差がでるのはおかしい!差別に決まっている」といって、とある大学で女子に加点するのは(仮に社会全体に何らかの差別が働いているとしても)の漠然とした動機からその大学で女子に加点することの整合性はないはずで実際にその大学で男子が有利な差別があるならそれを証明した上でピンポイントでその不公平を是正しなければいけない
アファーマティブアクションは大雑把過ぎる、例えば企業Aで社員の男女比が8:2で男性が優遇されていると疑われる場合に関係のない企業Bで「女性8、男性2にしてバランスをとります」といってもBに入りたい男性は納得できるわけない
正しくは企業Aで男性優遇があることを証明しその差別をピンポイントで是正すべきだ、証明も大事で例えば企業Aへの入社を志望する男女比が8:2であれば採用される男女比が8:2でもおかしくはない政治家の男女比も政治化を志す人の男女比が圧倒的に男性の方が多いなら偏りはできて当然なのにそこは見ないで人口が半々なのに男性ばかりなのはおかしい、差別にきまっていると決め付けていないだろうか?

ジェンダーギャップを埋める為にすべき事

フェミニズムがなぜ「女子力」という言葉を嫌うかというと、それは自由意志に見えて女性のロールモデルをモテたい心理なども利用して暗示しているともいえるからです
しかし残念ながらこの女性にかかる呪いを解く為の正しい対処法を見誤っているジェンダー平等論者は多いと思われます、それはジェンダーについて間違った認識があるからです
 

ジェンダーは女性自身が求めるものでもある

 なぜ女性が自己向上として「女子力」を身に着けようとするかというとスペックの高い男性を獲得したいからです
多くの女性が求める理想の男性はリードしてくれるジェンダー主義的な男性です
 
ジェンダーは男女関係において大きな醍醐味であると感じる人は多数派だと思われます
例えばデートでエスコートしてくれて支払いもしてくれるスマートな男性とレディファーストもせずに割り勘の男性では圧倒的に前者がモテます、恋愛では無性で付き合うより男女の違いを強調した関係の方が楽しめると感じる人は多いのです
 
であるなら女性もそういった男性を獲得するために「女子力」を身につけていい男の獲得競争に勝とうとします、つまりジェンダーとは男女関係において自分が相手に求めるもので相手に求める以上は自分も身につける必要があり、束縛的で窮屈な側面がある以上に男女関係を充実させ楽しむ為のツールだといえます
 
 

社会規範にまで侵食するジェンダー

しかし問題はモテ戦略であるはずのジェンダーが社会規範の顔をする事が度々あるということです
例えば恋愛で男性が自分の意思でレディファーストをするのは自由ですが社交の場でそれがマナーと規定されればジェンダー主義の半強制になり問題です、これは女子力ついてもにもいえます
多数派のジェンダー的価値観が薄っすらと規範意識として社交の場で幅を利かせるのはよく目にします、こういった動きに警鐘を鳴らしていくのがジェンダー強制社会への正しい対抗策です
 
 

ジェンダー半強制社会への正しい対処の仕方

社会から女性が女の役割を求められたときにそこだけ見て異を唱えるのは2つの間違いを犯す可能性があります、一つは「それは本当に女性の意に反しているのか?」ということ、もしかするとその女性は性役割を担うことを望んでいるかもしれません(逆にジェンダー平等の押し付けになっていないか?)
 
もう一つは「それを求められた女性は男性には男の役割を求めていないか?」
ということです、もしその女性が男性にはジェンダーを求めるのであればその場面だけ見て「それは差別的ですよ」と咎めても女性は自分の性役割だけを差別的だと考え男性は性役割を押し付けられたままの状態になるからです
 
なのでジェンダーギャップを是正して行きたいなら闇雲にジェンダーギャップを否定せずにジェンダー主義に生きたい人達の自由意志を尊重し男女双方に自由意志を超えた束縛が無いか目を光らせる必要があります